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滄州の地理: |
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滄州の位置:
滄州市は中国河北省東南部に位置し、華北平原東部の黒竜港河の流域に属す。渤海を東に臨み、北は北京・天津、南は山東省に隣接している。首都北京とは240キロメートル、天津とは120キロメートル、河北省都の石家荘とは221キロメートルの距離である。 全市の南北幅は165キロメートル、東西幅は187キロメートル、総面積は1.4万平方キロメートル、市街区の面積は41平方キロメートル。 |
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行政区画:
滄州市は現在2つの区(新華区、運河区)を管轄し、4つの県レベルの市(黄華、任丘、河間、泊頭)、10個の県(呉橋、東光、南皮、献県、粛寧、塩山、海興、滄県、青県、孟村回族自治県を捧げる)、4つ開発区(市の経済技術開発区、黄華港の経済技術開発区は、臨港経済技術開発区、南大港管理区)。2004年末までの統計によって、全市の総人口の679.36万人、その中の市街区の人口の48.86万人。 |
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滄州の歴史:(詳細は滄州の歴史について) |
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滄州市は1400年余りの歴史を有する古い都市である。巨大な鉄のライオン像(滄州鉄獅子)がその古い文明を象徴しており“獅城”と呼ばれている。滄州の歴史は悠久で、史料の記録によると、北魏の煕平2年(西暦紀元517年)に瀛州と冀州の2州が併合され滄州が設置された。滄州の地名の由来は渤海湾つまり“滄海”によるものである。
隋朝の大業3年(607年)、渤海郡に、唐朝の貞観元年(627年)には河北道の管轄区域となり、その後宋朝では河北東路河間府、元朝では河間路、明・清代には直隷省河間府(一部は天津府)の管轄とされた。
民国2年(1913年)、滄州は滄県に変更されたが、1947年滄市となる。その後1949年には滄鎮となるなど、何度も変更が繰り返されたが、1983年11月15日、省の管轄都市に昇格。1988年3月、国務院の許可を受けて沿海経済開発区になった。1993年6月19日に滄州地区と周辺市町村との合併が行われ、現在の滄州市が成立した。 |
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滄州の武術: |
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滄州の武術は古代より有名であり、中国の古典『漢書』には前漢宣帝年間(紀元前73年−紀元前49年)にこの地域を治めた渤海太守gong3遂が「民皆売剣買牛,売刀買犢(民は皆、剣を売って牛を買い、刀を売って子牛を買え=民衆は武器を捨てて農業に専念せよ)」との布告を出したとある。
明代(1368年−1644年)の長編小説『水滸伝』で英雄豪傑のひとりである林冲が無実の罪を着せられて流刑に処せられたのもここ滄州であり、いまでも滄州には林冲が武術をこの地に伝えたという伝説が残っている。
清代(1644年−1912年)以降、滄州は中国でもっとも武術が盛んな地域として中国全土に知られ、ついには“武術之郷”と呼ばれるようになった。 明・清代に滄州より武進士・武挙人(文官採用試験の科挙に対して武官を採用する試験である“武挙”の合格者)に選ばれた人数はじつに1937名にのぼるとされ、その伝統と気風は現在でも脈々と受け継がれている。 |
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